2013年7月12日金曜日

使命感

自分の奥深くでうごめいてる形があるのか無いのかもよくわからないやつらをなんとか救い出さなければという心境でキャラクターを描いています。
あたかもナチスの迫害からユダヤ人を救ったオスカーシンドラーさんや杉原千畝さんにでもなったようなつもりで、一体でも多くのキャラクターを救うことに躍起になっています。
なので、それからの進路や活動にまで頭が回らないのかもしれません。




持ち場

見込みのあるキャラクターを売り出すことに専念した方が効率的で良いと思うのですが、なかなかそれができないです。ダイヤモンドの原石を発掘してスターに育てていく芸能プロダクションがやるようなことは自分の持ち場ではないと思っています。
そんなことを言ってしまうと、産んどいてその後のことは一切知りませんと言ってる無責任な親みたいで、育児放棄だと怒られてしまいそうですが。




2013年7月4日木曜日

有象無象

キャラクターの作品を見た人の感想の中に「有象無象」というキーワードがあった。
意味を検索してみたところ、数は多いが、種々雑多なくだらない人や物。ろくでもない連中のこと。多くの人々を卑しめていう。また、形があるものも、ないものもすべて。有形無形のすべて。などなど。
愛がないというかあんまりな気もするけど、確かにあのキャラクター達を一言で言い表しているようにも思う。元々は仏教用語の「有相無相」が転じたもので、有相無相とは、現象と真理、姿や形をもつものともたないもの全てを意味する言葉で、「相」は姿や形を意味する。類義語には「森羅万象」がある。
有相無相なんて大層有り難い言葉だったはずなのに、なんにもしてこなかったものだから、いつの間にやらろくでもない連中にまで落ちぶれてしたったところが面白い。結構気に入っている言葉。


変化

巷にはキャラクターが氾濫していて、すでに飽和状態であるのにかかわらず、自分までキャラクター作りに加担するのはどうなんだろ?と漠然と思っていて、でもだからといって、これぞと思える完成度の高いキャラクターを選んで勝負するのもなんだか違うと感じていました。
今回の企画展で久しぶりにキャラクターを発表したのですが、意外な程評判が良くてついつい気をよくして、気がつけば考えが変わっていました。
群雄割拠なキャラクター界で成り上がれるとは思わないけど、自分しかできない方法で表現できれば、この過熱気味の状況に参入する意味はあって、やるのであれば一石を投じたい気持ちもあります。また積極的にキャラクターを描きためようと思うようになりました。

2013年6月24日月曜日

やりたいこと

こちらのイラストは2011年にお祭りのポスター用に描いたものです。キャラクターを描き始めた頃からやりたいことや表現したいことはあんまり変わっていないです。パソコンで細かいところまで描けるようになったことで、よりごちゃごちゃ感が出せるようになって、表面的な雰囲気は変わりましたが、キャラクターをいっぱい描きたい性質みたいなものは全く変わっていないです。お祭りのポスターは手品のイラストとは違っていくらキャラクターを出しても不自然じゃなかったことが僕にとっては好都合でした。

2013年6月23日日曜日

キャラクター

昔の作品を見返してみたところ、やってることは今も昔もあんまり変わりませんでした。下の記事はイラストの仕事を始めた2000年頃のものです。手品のコーナーが始まるにあたってイラストを任されることになり、編集長から言われたことは、手品をするマジシャンとなにかキャラクターいた方がいい。ウサギのキャラクターはどうか?と聞かれ、それまではキャラクターなんて意識して描くことはありませんでしたから、なにかしら考えてみますと言ったのが、キャラクターを描くことになったきっかけでした。後日、ウサギはできませんでしたが、ヘンなキャラクターがいっぱいできましたと、編集長に見せたところ、思いのほか面白がってもらえて、いっぱい作ったものだから毎回いろんなキャラクターに登場させるスタイルでいくことに決まりました。新聞のイラストの仕事は3年ほどで辞めてしまいましたが、いまだにキャラクターは描き続けています。


モンジ作品について

 モンジ作品についてコメントをいただきました。

なんかひっかかるモンジの絵、その理由を私なりに考えてみました
人間は、パーツの位置や骨格でそれぞれ微妙な違いがありますが、大きく人という種としてはたいした違いはありません。でも、心(魂?)が形になったらどんなの?と想像した先にモンジのキャラクターは存在すると私は考えます。
人類が誕生してから、道具が生まれ、文字が発明され、科学や学問は猛スピードで進化し続けていますが、人の心は原始のまま、変わらないのだそうです。だから、大昔の人が書いた書物をまるで隣人が書いたものの様に読めるのかもしれません。科学や学問は次世代にバトンを渡して進化させる事ができるのに対し、心は個人のものにしかなり得ず、生物には寿命があるので進化に限度がある。 モンジは1つのキャラクターの完成度を高めようという努力をしません。地球のどこかで毎日生み出される生命のように発生する新しいキャラクターは1つとして同じものがなく、あえて完成度も高くしたがらない。それは寿命という期限の中で、心の完成度って必要か?と言われているようにも感じます。
そして1つ1つのキャラクターの愛らしい事!もしも魂や人生を形にできるとしたなら、私はきっと全員愛らしい形になると信じています。目ん玉はくりっとしてるはず。
「人生は大いなる余暇」という言葉がありますが、この有象無象はとても余暇を満喫しているように見えるんです。